ココロもカラダもまるっと心地よく 時々スピ系

忘備録として。私の嬉し楽しが誰かのお役にたつ循環を目指して。。

見ていてくれてる

昨日は中医学の講座の日でした。
たまたま開始時間に私しかいなくて、
そしたら先生が、
「あ、そういえば、堤さん(私のことだ)でしたよね、
数か月前に症例の質問してたの。ちょうど一人だけだし、
この話しましょうか?」
と、メモを見ながらおっしゃった。

うっわー!すっごいうれしい!
質問したものの、その後の講義でちょっとごちゃごちゃしたので、
聞けずにいたのだった。
失礼ながら、あきらめていた。

じっくりうかがいました。
更なる質問にも、先生は誠実に答えてくださる。
目の前にはっきりと方向が見えてありがたい気持ちでいっぱいに。

一通りうかがったあと講義になったのだけど、
講義の内容も先の質問に関連するものだったので、
先生がちょいちょい私の質問に絡めて説明してくださり、
非常に充実した90分間でした。

中医学って、ただ方剤を処方して治すわけではなく、
クライアントの人となりや生活状況や考え方の癖なんかも、
しっかりとらえてアドバイスするというところがベースにある。
私は、そういうところにとても惹かれて、中医学を学び続けている。
このすばらしい学問を、
たくさんの人たちが心地よく生きていくために伝えたいと、
昨夜、改めて思いました。

先生の患者さんに対する姿勢にも改めて共感して、
感動でふるふるした笑。

ありがとう宇宙!
ちゃあんと、場を設けてくれて。
ベストなタイミングを用意してくれて。

幸せだ。
感謝🌸

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真っ赤な千日紅
好き~





夏の肉じゃが

肉じゃがひっさしぶりに作った。
トマトとセロリを入れて、牛スジと一緒に。
思った以上においしくできた。
味はちゃんと肉じゃがでした。
サラダは人参ドレッシング。
マヨネーズを線でピピピとかけたらもっとおいしかったかも。

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夏の肉じゃが。
料理は無心になれてありがたい。

牛スジだし、陰虚の人におススメかな。
トマトもセロリも清熱だけど加熱して使うと優しく冷やしてくれる。




 

2021年9月クリニックの。

今日は333の日。
半日で3回見た(あ、3だ)
いつもありがとうございます。
ありがたいのもあるし、ピリッともする。

話違うけど。
月イチで近所のクリニックに栄養指導に行っている。
ほとんどが糖尿病、ちょっぴり特保の割合である。
が、今月は血清クレアチニンが高い高齢者(二人とも80代男性)の予約が入ってる。
腎臓かー。食塩と蛋白質ね。血圧と動脈硬化系もチェック。
一般的なのしかやったことない。

そういえば、先々月、院長から、
「腎臓の人の指導できる?」と聞かれたので、
私 :「はい。」
   「あのう。タンパク質制限をきつくしなくちゃいけない感じですか?」
院長:「たんぱく質なんて、ほとんどの人が少ないくらいなんだから、制限なんていらないよ!」
私 :「ああ、そしたら減塩あたりをやっていけばいいでしょうか?」

院長:「そうね。」
とやり取りしたこと思い出した。

ですが、先生?
指示箋確認したら、タンパク質制限しなきゃいけなそうな感じですが?

二人ともBMIも高い。
ひとりはむくみもあるかもしれないけど、
もう一人は確実に脂肪だと思われる数値。。。

とりあえず食事と活動状況の聞き取りしてから考える。

80代以上の高齢者に食事指導するの気が進まないんだよなあ。
その人が強く望んでいるならば問題ないけど、
80代まで生きて、そこまでして健康でいる必要あるのかなって考えてしまう。
個人的な意見です。

お二人とお話してみて続きを書く。

本人にしかわからない

昨日のザ・ノンフィクションの特別編、面白かった。
(2021.8.15 BSフジ19時~)
私はドキュメンタリーが好きで、
題材が人間でも、自然でも、なんでも、
ドラマはほとんど見ないけど、ドキュメンタリーを好んで観る。

で、人生訳アリの人々がたくさん出てくる。
その中で、母親に出ていかれた娘とその母のやり取りのシーン。

”出て行った母親に初めて会いに来て、母親とサシで話をしてみて、二度と会わないと公言した。数か月後に今度は兄弟もつれてきて、父親(出ていった母親の元夫)から「許してやってくれ」と言われたから来た。でも、あふれる思いがとまらず、和解する感じにならない。”

「もう会わないって言ったのに、今度は兄弟を連れてやってきて、また文句言ってるのね。」
と一緒に見ていた母が言った。

「ああ、こんなだから、私はあなたを許せない時期が長かったんですよ。」
と心の中でつぶやいた次第。
小さい時に出ていかれたわけではないけれど。
子供の立場に立っての想像がホントにできない母。

私は、子供の頃から周囲の大人から言われたことや、その時の気持なんかを細かく覚えいるタイプで、感受性が強かったから精神的なストレスも大きくてトラウマになることすら少なくなかった。

自分の子供時代は、ぼーっとしていたという母は、そういう私を理解できない。
(現在では世間的にはちゃきちゃきした人だと思われている母である)

理解できないまでも、「そうだったんだね。」ととりあえず受け止めるといったこともイマイチできない。
説明しても、「え?なんで?」となる人。

数年前に私が今まで言えなかったことをぶっちゃけて、
大もめにもめた経緯があるにも関わらず、
いまだに、こういう時、
「めんどくさい子供時代だったのね」ニュアンスが入っていると感じる。

私は、もめた後、その件は手放した。やっと。
だから、大きな動揺はないけれど、いい気持ちはしない。

一方で私自身も、息子の子供時代に大変な目に合わせる原因を作った。
だから、息子には何を言われても、まずは受け止める覚悟があるし、
その時の息子の気持ちを否定するような発言は絶対しないと決めている。

当事者にしかわからない。
その時の気持ちなんて、当の本人にしかわからないことだから。
想像して寄り添うことはできたとしても。

あらためて心に留めておく。

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連日の大雨に打たれて花びらが傷んでる。
たくましいね。
木槿ムクゲ。前を横切るミズヒキ。

結局、自分次第

先月のイベントが終わった時に腑に落ちたこと。

 

みなさん、同じ告知をご覧になって参加されたわけなんだけど、

思うところが様々で、本当に様々で(強調しすぎ笑)

 


誰がどう思ったかとかはとにかく。

 


目の前の事象は同じでも、

受け取る側次第で全く違うものになってしまうんだな。

人とは、自分が理解したいように理解してしまう生き物なんである。

想像力とか妄想力とかが負の方向に発動されれば、

被害者意識が発生したりもするわけで。

 


まだ、こういう現象が腑に落ちていない時には、

目の前の事実以外をぐるぐる頭で考えて、

「きっとそうだ、そう思われてるんだ」とメンタルがドツボにハマることが多かった。

「相手の様子がおかしい時は自分がおかしくないか疑ってみた方がいい」と聞いた時も、

そうかぁ?と90%疑ってたし。

 


今はわかるな。

 


「人は見たいように見るし、

思いたいように思う。

目の前の事実を自分の都合に合わせてわかった気になる。」

だから、自分次第。

わかったので、自分が機嫌よく生きていくのが大事だわ。


しかしまあ、腑に落ちるまでの道のりも長い笑

 

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少し前の雨雲。
西の空に見えて、間もなく雨が降り出した。
出かけない日は雨も大好き。

 

タイミングが合うということ

望んだことはタイミングが合うというハナシ。

昨夜リモートイベントを実施したんだけど、
途中参加や中座の予告があった方たちも通しで参加してくださった。
小さいお子さんがいたり、親御さんの介護があったりと、
自分の意思でコントロールするのが難しい状況だったのにね、
タイミングが合う時って合うんだなあと改めて思う。

タイミングが合わない人とは何回リスケしても合わないけれど、
合う人とは、この日のこの時間だけ空いてる!なんて日にピタっとはまったりする。
そういうことがわかってから、
合わない時は合わせなくていいタイミングなんだと焦らなくなったな。
焦らないから精神状態もいい。

本当に望むことには、宇宙が味方してくれるって、本当だと思う。
毎日ありがとう。感謝です^^

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雨がちだった日の睡蓮
ぱっと晴れた日よりもこんな日のほうがぴったりくる
カエルがポチャンと飛び込んでいった


残しもの~焼きナスが味噌汁~

残りものではない。
残しものである。

かなり前、
塩田ミチルさんの料理記事で見かけた「残しもの」という言葉。
「前の晩にシュウマイ1個を残しておいて、
朝それを何枚かにスライスして、フライパンでこんがり焼くとおいしいの。」
というくだりを何故だかずっと覚えてる。
焼き目がこんがりとした焼きシュウマイ。
おいしそう!

食材を使い切らないであえて残しておいて、
後日それを使うことで、食卓がにぎやかになる。
例えば、ナス5本入りを買ってきて、4本で麻婆ナスを作る。
残しておいた1本は、味噌汁の実にしてもいいし、
縦に半分に切って皮目に切り目を入れて油で焼いて、
ハンバーグのガロニ(付け合わせ)にできる。

ニンジンなんかも、
あえて1/4本とか中途半端な量を残しておくと、
サラダの色どりに使ったり、
煮物とか炒め物とかに少し入れたいときに重宝。

なので私はあえて残しておく派なんだけれど、
わが母は、使い切りたい食べきりたい人で、
私があえて残しておいたものを、
「1本だけ残ってたから使ったよ。」ということがよくある。
まったく気が合わない。

調理したものも少し多めに作って残しておくと、
朝食のおかずの一つにしたり、お弁当のおかずになるし。

残りものじゃない。
残しものなんだよ。

作り置きが流行っているけれど、
つくるのが好きな人じゃないとそんな気になりにくいと思うのよ。
それなら、夕食を少し多めに作って「取り分ける=残しておく」
のがラクなんじゃない?
買ってきたお惣菜を出す日も、お買い得品を多めに購入して、
それを副菜として出せば目先も変わるし、
品数が増えれば、バランスも調いやすいじゃない?


唐揚げ一人当たり1個づつ残して、1/2~1/4くらいにカットして、
玉ねぎスライスでも、大根おろしでも、ポン酢しょうゆ少々でからめて、
小皿に盛り付けたら、昨日の唐揚げとは思えないちょっとしたおかずになる。

そんなわけで私は、作り置きよりも、
残しもの推奨派なのだ。

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昨夜の焼きナスとししとう焼きを残しておいて、
赤だしのお味噌汁にしました。
夜に茄子を焼きながら、明日の味噌汁にしよう!と
タニタしてるんである。
ちなみにカツオのヅケも昨夜の残しもの。