ココロもカラダもまるっと心地よく 時々スピ系

忘備録として。私の嬉し楽しが誰かのお役にたつ循環を目指して。。

時間はかかるよね

過去がサイアクだった私は、時を経て、今現在の自分がいつも楽で好きになりました。

とにかく自分と折り合いをつけるのが、なにより大変な人だったから。

「あの頃に戻りたい」と思ったことは、たぶん一度もない。

自分と折り合いがつくってことは、

「自分の本当の望みを知る」ってことだと思う。

「自分にとっての一番の理解者は自分」という状態になることとも言えると思う。

そうなるまでにすごく苦しいこともあったし、周りにもいっぱい迷惑をかけた。

サイアクと絶望した状況でも、いつも誰かに助けられて、今の自分がある。

生身の人間も、後ろの方々や見えない何かにも助けられた。

感謝してる。忘れない。

運はいいと思う。

まだまだ、目標地点には立っていない。だから楽しみ。


最近、身内の問題が複数重なって悩んでいる友人の話を聞いた。

彼女なりに問題を解決すべく、心を砕いている訳なんだけど、

「自分はこうなりたい、こうしたい」ではなくて、

「夫にこうなって欲しい」とか、

「子供を幸せに導いてくれる人が現れて欲しい」とか、

言うことが他人軸なのに驚いた。

(彼女を批判しているわけでは絶対ないってことは、ここで言っておく。

すごく大事な友人なのである。)

まずは目の前の問題を解決する方法も見つけないといけないけど、

自分はどうなりたいのか気づいてもらいたいなあと思った次第。

でもさ、その後ちょっと時間がたって気づいたんだけど(遅い!)

自分だって今の自分になるまでに何年もかかってるわけですよ。

ましてや、問題点はそこかもと気づいてもいない場合、

まずそれに気付くのに時間がかかっても不思議じゃないじゃん? と。

ある日、超スピリチュアルなメンターに会って、

「その時から私は変われました!」

という喜ばしい奇跡に合わない限り、急に気づく確率は低いよね。

友人の話を聞きながら、私もつい結論を急ぐ感じになっていたのだけど、

それは違ってた。

多分時間がかかるのよ。

だから焦らず、目の前の事象を片付けながら、自分のことを理解していく。

そのお手伝いをしていきたいのだ。

ってことを思い出したら、目の前のモヤモヤが晴れた気がしている。
(ダメじゃん、なんでそれを忘れていたの?反省。)


他人ありきの幸せは、その人がいなくなったら幸せじゃなくなっちゃうじゃない。

「この人と幸せになりたい」という思いも、

「私はこの人に幸せにして欲しい。」と思うのと、

「私はこの人と幸せになりたい。なる。」と思うのとでは、

全然違うのではなかろうか。

 

仕事でもプライベートでも、

相手によかれと思うことが、自分の気づきにつながる。

すごく幸せなのだ。

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友人に手紙を送るのに切手の整理をしてたら、ハート💛になってた!